三陸うめちゃんコラム
三陸うめちゃんコラムvol.3
2020年12月14日
石巻・女川
石巻・女川編を書かせていただくにあたり、新たに撮った写真や撮りためていた写真をまとめ、書き始めるまでに随分と時間がかかってしまいました。少なからず感情が込み上げてくる風景に対して、どう綴るのが良いかと書いては消しての繰り返しでした。
東日本大震災の死者・行方不明者数では、岩手県では陸前高田市、宮城県では石巻市が最も多く、死者・行方不明者の人口比率では大槌町と女川町が最も高い。そんな石巻・女川で私が感じたことを中心に綴りたいと思います。
私が大槌町に移住した2015年10月、震災から4年半が経過しても町の中心部は依然として盛土の風景が広がっていた陸前高田市と大槌町では、それぞれ隣町の大船渡市や釜石市と比較して復興が進んでいないと不満や苛立ちの声が上がっていました。その12月、女川町ではシルバーピア女川という商業施設がオープンし、大いに注目を集めました。
温浴施設のある女川駅を正面奥に見るシルバーピア女川(2020年11月撮影)
新しい町並みを自分たちでつくるんだという若いひとたちのチャレンジする気持ちと、これからの女川を若いひとたちに託すんだとした先輩方の話は、この施設の完成時にたくさんの方々から聞くことができました。実際にこの場所を訪れ、洗練された美術館のようなオシャレな町役場の中をキョロキョロしながら建物を通り抜けた先にある慰霊碑からこの場所と海を眺めた時、この風景をつくった方々の気持ちを近くに感じた気がしました。
港町で暮らしていると海鮮は自分のところが一番と思うものですが、せっかく来たのだからと女川の美味しいもの全部乗っけましたみたいな丼をいただきました。「東京にいる家族に食べさせたい」と、三陸の海の恵みは私の素直さを引き出してくれました。とても良い打合せを終えた後だったこともあり、私とこの町の距離感が縮まって味わいも違って感じられたのかもしれません。
さて、新しい町の象徴的なシルバーピアと女川駅前を通り過ぎて道なりに進むと高台に女川町総合運動場があります。もともとは土だった第二多目的運動場が今年の4月に人工芝になって、更に来年1月にはラグビーも使える仕様になるとのことで、練習試合会場として視察に行きました。打合せ時間よりも少し早く到着したので、付近を回ったのですが、いわゆる災害公営住宅が運動公園住宅として綺麗に整備されていました。
体育館を中心に家を出たらすぐに屋内外のスポーツを楽しめるまさに生涯スポーツのまち女川というようなエリアでした。新しい戸建ても多く建てられており、内覧会があれば参加したいと思うような場所でした。陸上競技場があった部分に運動公園住宅が建てられているので、震災前震災直後を知っている方なら「ああ!」と声を漏らすでしょう。まだまだ整備途中なので、引き続きこのエリアには注目していきたいです。
今回の女川町の視察は、石巻市総合運動公園を使用するタイミングが合わなかったことがきっかけでした。私にとってこの運動公園は特別な場所でした。このエリアには県内最大級の仮設住宅が立ち並んでいました。毎夏、小さなテントサーカスの一員としてこの場所を訪れ、この地区の方々と交流するのが楽しみでした。
昨年の訪問時は、ここの仮設住宅からほとんどが退去済みだったので、そう遠くないうちに解体されるだろうと思っていましたが、いざ何もなくなると空虚感に襲われました。
すべての仮設住宅がなくなることは復興に近づくことですから喜ぶべきことなのですが、ここでの思い出を共有できるひとたちがいなくなるような気がしたのか、心に穴が開いたような気持ちになりました。
ここでたくさんおしゃべりをしてくれたおじさんが大須(石巻市雄勝町)の人で、実は雄勝の方々の多くがこの場所で暮らしていたと話してくれました。その日はライトアップニッポンという全国で鎮魂の花火を挙げるイベントの日で、私はこの交流後すぐに大槌でそのイベントに加わる予定でしたが、大須でも花火が打ち上がることを教えると、地元の俺が知らない地元のことを教えてくれたと喜んでくれました。
ここ何年かは仮設暮らしを経てこの場所に移り住んだ方々が窓口になっての交流だったので、このイベントがここの仮設で暮らした方々の毎夏の里帰りイベントなんだよと嬉しそうに話してくれるので、その気持ちもあっての空虚感かもしれません。
(総合運動公園の正門前の一角では何やら大きな施設を建設中でした)
東北でのテントサーカスは震災10年でその役割を終えます。また別の形で訪問できればと思います。再び喜んでいただけるようにパフォーマンス力を高めないとです。
石巻と言えば、この旧大川小学校は避けて通れません。震災伝承施設として年度末の完成を目指して工事中ではありますが許可されたエリアで見学することができます。
コロナ禍で語り部活動も休止の状態だったそうですがつい先日再開した話を聞きました。あの時まさにここの小学生だった子が成人して語り部になったという話を聞いた時は、釜石の震災伝承施設で同じように語り部として活動している子たちのことを思うように、これからもこの町で活動を続けていけるといいなと思いました。こうした子たちが笑顔でいられるよう見守る存在でありたいと思います。
初めて訪れてから少なくとも5、6回は訪問していると思いますが、手を合わせる場所は子どもたちが向かった橋の方向、旧校舎を背にする方向に変わるようです。
撮影した写真の中で、一番感じ入る写真がこれです。建物に沿うように植えられたコキアが、まるで大川小の子どもたちが校庭にいるように見えて切ないのです。
多くの子どもたちが命を落とした場所に立って静かにいろんなことを考えます。この場所を訪れた方々がそれぞれの場所で率先避難者になって、結果として誰かの命を助けることにつながれば、それだけでも大きな力だと思います。
私のカバンには必ずチョコレート菓子か飴ちゃんが入っています。どこかで小さな子の小さなトラブルに出くわした時、それが力を発揮してくれるということを何度も経験しているからです。お菓子に頼っちゃいかんとか栄養がどうのという話と違い、この魔法が時として場の雰囲気を変えてくれます。子どもにお菓子を与える行為には周りにいる大人の殺伐とした感情を和らげる、そうした力もあるのです。
ちゃんと防災をやらなきゃという使命感やできていない罪悪感を良い意味で薄めてくれる心がけ。そうした心の持ちようもデイリーストックアクションのひとつだと思います。
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長 梅沢義明
石巻・女川
石巻・女川編を書かせていただくにあたり、新たに撮った写真や撮りためていた写真をまとめ、書き始めるまでに随分と時間がかかってしまいました。少なからず感情が込み上げてくる風景に対して、どう綴るのが良いかと書いては消しての繰り返しでした。
東日本大震災の死者・行方不明者数では、岩手県では陸前高田市、宮城県では石巻市が最も多く、死者・行方不明者の人口比率では大槌町と女川町が最も高い。そんな石巻・女川で私が感じたことを中心に綴りたいと思います。
私が大槌町に移住した2015年10月、震災から4年半が経過しても町の中心部は依然として盛土の風景が広がっていた陸前高田市と大槌町では、それぞれ隣町の大船渡市や釜石市と比較して復興が進んでいないと不満や苛立ちの声が上がっていました。その12月、女川町ではシルバーピア女川という商業施設がオープンし、大いに注目を集めました。
温浴施設のある女川駅を正面奥に見るシルバーピア女川(2020年11月撮影)
新しい町並みを自分たちでつくるんだという若いひとたちのチャレンジする気持ちと、これからの女川を若いひとたちに託すんだとした先輩方の話は、この施設の完成時にたくさんの方々から聞くことができました。実際にこの場所を訪れ、洗練された美術館のようなオシャレな町役場の中をキョロキョロしながら建物を通り抜けた先にある慰霊碑からこの場所と海を眺めた時、この風景をつくった方々の気持ちを近くに感じた気がしました。
港町で暮らしていると海鮮は自分のところが一番と思うものですが、せっかく来たのだからと女川の美味しいもの全部乗っけましたみたいな丼をいただきました。「東京にいる家族に食べさせたい」と、三陸の海の恵みは私の素直さを引き出してくれました。とても良い打合せを終えた後だったこともあり、私とこの町の距離感が縮まって味わいも違って感じられたのかもしれません。
さて、新しい町の象徴的なシルバーピアと女川駅前を通り過ぎて道なりに進むと高台に女川町総合運動場があります。もともとは土だった第二多目的運動場が今年の4月に人工芝になって、更に来年1月にはラグビーも使える仕様になるとのことで、練習試合会場として視察に行きました。打合せ時間よりも少し早く到着したので、付近を回ったのですが、いわゆる災害公営住宅が運動公園住宅として綺麗に整備されていました。
体育館を中心に家を出たらすぐに屋内外のスポーツを楽しめるまさに生涯スポーツのまち女川というようなエリアでした。新しい戸建ても多く建てられており、内覧会があれば参加したいと思うような場所でした。陸上競技場があった部分に運動公園住宅が建てられているので、震災前震災直後を知っている方なら「ああ!」と声を漏らすでしょう。まだまだ整備途中なので、引き続きこのエリアには注目していきたいです。
今回の女川町の視察は、石巻市総合運動公園を使用するタイミングが合わなかったことがきっかけでした。私にとってこの運動公園は特別な場所でした。このエリアには県内最大級の仮設住宅が立ち並んでいました。毎夏、小さなテントサーカスの一員としてこの場所を訪れ、この地区の方々と交流するのが楽しみでした。
昨年の訪問時は、ここの仮設住宅からほとんどが退去済みだったので、そう遠くないうちに解体されるだろうと思っていましたが、いざ何もなくなると空虚感に襲われました。
すべての仮設住宅がなくなることは復興に近づくことですから喜ぶべきことなのですが、ここでの思い出を共有できるひとたちがいなくなるような気がしたのか、心に穴が開いたような気持ちになりました。
ここでたくさんおしゃべりをしてくれたおじさんが大須(石巻市雄勝町)の人で、実は雄勝の方々の多くがこの場所で暮らしていたと話してくれました。その日はライトアップニッポンという全国で鎮魂の花火を挙げるイベントの日で、私はこの交流後すぐに大槌でそのイベントに加わる予定でしたが、大須でも花火が打ち上がることを教えると、地元の俺が知らない地元のことを教えてくれたと喜んでくれました。
ここ何年かは仮設暮らしを経てこの場所に移り住んだ方々が窓口になっての交流だったので、このイベントがここの仮設で暮らした方々の毎夏の里帰りイベントなんだよと嬉しそうに話してくれるので、その気持ちもあっての空虚感かもしれません。
(総合運動公園の正門前の一角では何やら大きな施設を建設中でした)
東北でのテントサーカスは震災10年でその役割を終えます。また別の形で訪問できればと思います。再び喜んでいただけるようにパフォーマンス力を高めないとです。
石巻と言えば、この旧大川小学校は避けて通れません。震災伝承施設として年度末の完成を目指して工事中ではありますが許可されたエリアで見学することができます。
コロナ禍で語り部活動も休止の状態だったそうですがつい先日再開した話を聞きました。あの時まさにここの小学生だった子が成人して語り部になったという話を聞いた時は、釜石の震災伝承施設で同じように語り部として活動している子たちのことを思うように、これからもこの町で活動を続けていけるといいなと思いました。こうした子たちが笑顔でいられるよう見守る存在でありたいと思います。
初めて訪れてから少なくとも5、6回は訪問していると思いますが、手を合わせる場所は子どもたちが向かった橋の方向、旧校舎を背にする方向に変わるようです。
撮影した写真の中で、一番感じ入る写真がこれです。建物に沿うように植えられたコキアが、まるで大川小の子どもたちが校庭にいるように見えて切ないのです。
多くの子どもたちが命を落とした場所に立って静かにいろんなことを考えます。この場所を訪れた方々がそれぞれの場所で率先避難者になって、結果として誰かの命を助けることにつながれば、それだけでも大きな力だと思います。
私のカバンには必ずチョコレート菓子か飴ちゃんが入っています。どこかで小さな子の小さなトラブルに出くわした時、それが力を発揮してくれるということを何度も経験しているからです。お菓子に頼っちゃいかんとか栄養がどうのという話と違い、この魔法が時として場の雰囲気を変えてくれます。子どもにお菓子を与える行為には周りにいる大人の殺伐とした感情を和らげる、そうした力もあるのです。
ちゃんと防災をやらなきゃという使命感やできていない罪悪感を良い意味で薄めてくれる心がけ。そうした心の持ちようもデイリーストックアクションのひとつだと思います。
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長 梅沢義明
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