三陸うめちゃんコラム
三陸うめちゃんコラムvol.10~岩手県沿岸をめぐるツアーに参加してみて/奥能登へ再訪問~
○秋冬の訪れ
東京でも銀杏の葉の黄色が濃くなって、朝晩の気温が一桁台の日が増えてきました。あれだけ暑かった日々が懐かしいと言いたいところですが、日中はまだまだ暖かく、長袖を袖まくりするような時間帯もあります。
寒暖差や一年の疲れが出る年の瀬が近づいてきましたので体調には気をつけましょう。
○岩手県三陸沿岸南部を旅する2日間
1ヶ月ほど前のことですが、岩手県三陸沿岸南部のツアーに参加してきました。大槌町や釜石市で暮らしている間はこうしたツアーに参加することもなく、どちらかと言えばツアー等の観光で訪れた方々をアテンドしたりおもてなししたりする側でした。
今回は「移住・定住」をテーマに三陸沿岸の生活に興味をもっている方々向けのツアーでした。震災後、私はこの地域で長く暮らしてきましたが、2年前に沿岸を離れましたので、この地域の今を知るには良い機会ではないかと思いツアーに応募しました。申込み多数の末、抽選により当選でき、参加できることになりました。
拠点を東京に移して以降もライフワーク等で度々帰ってきていましたが、ツアーで巡る先には、お世話になった方々との再会の場面も多くありそうで、とても楽しみでした。
(画像クリックで拡大)
岩手県を大きく分けるとこのようになります。
沿岸中央部の山田町と大槌町で南北に分けて、今回は住田町、大船渡市、釜石市、そして大槌町を巡る沿岸南部のツアーとなります。(陸前高田市は今回訪問なしでした)
○いわて三陸うみまちJOURNEY
ツアーの窓口であるトラベル・リンク株式会社は、私が大槌町で地域コミュニティの構築に努めていた頃に知り合い、交流事業関連でお世話になりました。ツアーなので忙しない感じになるのは仕方ないとして、各自治体、各団体の「移住・定住」の課題感を確認し、今後も自分にできることをしていこうという思いを担当者に伝え、参加しました。
○再会と新たな出会い
このツアーのまとめが公開されていました。
リンクを貼り付けましたので、どうぞご覧ください。
【ツアーレポート】いわて三陸うみまちJOURNEY2日間
https://travel-link.jp/archives/30400
全体像はツアーレポートでご確認いただき、ここでは各地での再会と新たな出会いのひとコマを写真で紹介いたします。
住田町の施設を案内してくださった関さんは以前からの知り合いです。
県外の方が多いツアーなので県外からの移住者である関さんの話は
話を聞く前段としてとても良かったです。
住田町は町産材や県産材の利活用が目に見える風景があります。
震災時に県ではなく町で建てた木造の仮設住宅の当時の様子が残されています。
配置や調度品などから大槌町での仮設住宅暮らしを思い出しました。
ログハウスや木造の平屋建てに興味がある方向けに
移住する住宅や区画が整備されると良いなと感じました。
大船渡と言えばキャッセン大船渡という複合施設。
ライフワークの小さなテントサーカスでもお世話になった場所です。
そこの運営に携わる千葉さんもまた以前からの知り合いです。
昔は夜の宴席でしか会わないねと冗談を言ったものですが
これからの大船渡のために日夜尽力する姿があります。
三陸沿岸で暮らしてきた方々は誰もみな悲しみを背負っていますが
ここ大船渡で千葉さんが楽しそうに酔っぱらっている風景があるなら
それはきっと良い町である証だと思います。
初日の夜は釜石で懇親会がありました。
釜石にいたら誰もが一度はお世話になる居酒屋マミー。
壁にはラグビーのポスターがあり、訪れた選手たちのサインもありました。
私は選手ではないので一緒に写真だけ。
翌日は早朝から駅前のサンフィッシュで贅沢朝ごはん!
魚食普及コーディネーターの清原さんにお世話になりブリを捌きました。
清原さんは釜石市地域おこし協力隊として
釜石の魚や海の魅力を伝える活動をしています。
私は復興支援員として、清原さんは地域おこし協力隊として、
ともに総務省の事業の枠組みで移住しましたが、
復興支援員から地域おこし協力隊が活躍するフェーズに移って
清原さんのような方が地域を盛り上げてくれて
自身がそれを楽しんでくれていることを嬉しく思います。
大槌町文化交流センターおしゃっちの施設内にある震災伝承コーナーでは
この町の震災語り部や企業研修のコーディネーターとして活躍する神谷さんに
この町を知る上で欠かせない出来事についてお話しいただきました。
このコーナーで流されるビデオは50回近く見ているのですが
そのすべてで涙が溢れてしまいます。
涙を流して良い場所でもあるのですけどね。
おしゃっちではお昼にお弁当をいただきました。
「ファミリーショップやはた」のお弁当でした。
何がある訳でなくても立ち寄って「お茶っこ」する場所でしたし
いつも笑って迎え入れてくれるお母さんでした。
震災後、自宅を改装してボランティア受け入れの部屋を提供したり
私たち移住者の良き理解者でした。
食材がたくさん使われているものの
いたって普通に見えるかもしれないお弁当ですが
松茸ごはんや鹿肉など地元の食材がふんだんに使われていました。
「移住・定住」で県外からやってくるツアーの方々のために
限られた予算の中でも「これを食べさせたい、あれも食べさせたい」と
いつものおもてなしの心で対応くださったのだと思いました。
こうした説明の後にお弁当をいただくと感じ方も違うでしょうね。
○カタチはどうであれ
この他にも行く先々で再会がありました。
あらためて三陸沿岸に自分は生かされていたことに気づきます。
清原さんのような専門知識に長けた方が地域のバランサーとして活躍し、外部人材が自分の好きなことを楽しそうにやっていてくれると地域の人も嬉しいしありがたいと思うので、そうした方々が移住までいかなくても関わり続けてくれることが大切だと思います。
地域おこし協力隊は、こうした専門性のある人か泥臭く地域の中に入って行ける人かがポイントだと思います。行政と民間をつなぐポジションで良いも悪いも踏まえた上で地域のために立ち振る舞える人材になっていけたらなお良いですね。
今回のツアーで再び訪問してくださる方がいたらありがたいです。
あくまでも私の経験に基づくものですが、寄り添い型の事業や支援の場合、その地域にはその地域のやり方があり、結論を急がない、極端なことを言えば結論を出さないでおく場合が良いこともあって、復興支援員も地域おこし協力隊も期限がある活動ですが、その期限のうちに成果を急がないという矛盾やジレンマを経験することになると思います。
ひと昔前の地域おこし協力隊のイメージでは、「自分探し」のための活動のように揶揄されて地域の方々とトラブルになることもありました。圧倒的に稼ぐ能力がある人が様々な軋轢を生みながらも結果を残していくことも是としてある一方で、寄り添い型の活動をしようと思うならば、普段から「○○すべき」「○○しなければならない」という表現を多用せず、まずその思考のベースを組み直してみると良いです。
その意味では、今、奥能登でも、地域おこし協力隊制度を活用した人材が各地で活動していますが、その方々の多くが石川県内だったり自身も被災していたりするので、被災も経験し支援も経験しているような人材が、引き続きこれまでの経験を惜しみなく伝え、ともに活動していけるようになればと思います。
○「移住・定住」はハードルが高い?
現在、「移住・交流」という括りで様々な取り組みが全国的に行われています。「全国的」に行われているため、どこも似たり寄ったりで、判で押したようなたてつけになりがちです。失点することを避けたい役場職員の中には「やった感だけほしい」担当者や部署の上司もいます。情報量の多さほど切実ではない現状があるのかもしれません。
人口減少を悪として捉えるのではなく受け入れてその上で今より良くしていくために外部人材に関わってほしいとするスタンスの方を説明していけば、参加者も「関わりしろ」の感度が上がるように思います。
東北の場合は、被災と支援の関係を再構築していくことでカタチにはしやすいと思いますが、つながりの多くは、地縁血縁によるものを除けば、ベースになる拠点との距離も大きく影響してきます。遠いことをネガティブに捉えるのではなくて、遠いからこそ保たれた風景や暮らしをポジティブなものに変換してほしいと思います。地方の人は「ここには何もない」と言いますが、都会の人からすれば「都会にないものがここには全部ある」と感じるものですから。
私の場合は、せっかく移住するのだから、その土地の風土的な魅力や民話を探求したいと思って生活をしてきました。移住する前に下調べしたことを現地で確認し、そこから派生して地域への関心がより高まり、続いてほしい生活様式や残したい風景について考えるようになりました。
○先輩移住者として紹介したい風景
ツアーではいくつか観光スポットも巡りましたが
住田が誇る鍾乳洞の滝観洞(ろうかんどう)には立ち寄りませんでした。
「移住・定住」をテーマにしているのですから
先輩移住者としてお勧めしたいのは「松日橋(まつびばし)」です。
(ともに2021年8月撮影)
ラオスの原風景を見ているような光景ですが
この橋とともにある地域の暮らしを伺い知ることができます。
こうした場所がただ残されているだけでなく
日常に溶け込んでいることが素敵だなと思います。
(参照)「絆」の橋 たとえ流されても… 岩手 住田町
https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/003/10/
こうした風景に心を打たれてファンになってくださり
時々訪問するなどして交流が続いていくことが
その先に何かが生まれるきっかけとなると思います。
(東海新報 2017年10月17日付7面より)
(参照)古き良さで門出祝福、昔ながらの手づくり結婚式/住田町
https://tohkaishimpo.com/2017/10/17/178941/
こうして記事にすることで、直後でなくとも、後年この記事や写真を見て、
松日橋に会いに行きたいと思っていただけたら幸いです。
○そして奥能登へ
珠洲市と輪島市
10月にキッズフェスタ2024の出展ブースにおいて「能登半島豪雨被害支援 土嚢袋に応援メッセージを描こう」というお絵かきのワークショップをさせていただきました。たくさんの子どもたちがお絵かきに参加してくれました。どの絵もエナジー溢れるものばかりで温かい気持ちになりました。
(参照)三陸うめちゃんコラムVol.9
https://dailystockaction.com/vol-9/
その土嚢袋を、その他、屋根の補修補強などに必要としている資材とともに、珠洲市の支援団体「ボラキャンすず」にお届けしました。
輪島市門前町で活動しているRQ能登には、同様に今必要としている資材を再確認して現物を郵送いたしました。RQ能登では釜石から駆けつけて活動している知人がいます。
豪雨災害が発生して以降、現場は更に大変な状況で、ほしいものリストがブラッシュアップされていない可能性が高いので、活動を知ることができるSNSなどで情報を確認したり、最優先のニーズを問い合せするなどして、受け入れる側とのギャップを少なくしたいものです。
能登町
珠洲市に資材を届けに行った帰り道で、能登町の数馬酒造を訪問しました。
盛岡の赤武酒造とのコラボ商品を飲んだり贈ったりしたこと、美味しくいただいたことをお話でき、他の酒造とのコラボ商品を購入して帰りました。来年はここ宇出津(うしつ)であばれ祭りを見たいです。
その数馬酒造の若女将しほりさんのインタビュー記事が掲載されていました。
家族のカタチ #3(前編)能登編
https://otonasalone.jp/444730/
家族のカタチ #3(中編)能登編
https://otonasalone.jp/457820/
家族のカタチ #3(後編)能登編
https://otonasalone.jp/444735/
能登半島地震からまもなく1年。備えはあるに越したことはありません。ただ、備えがあっても心と体がいつも思った通りに動くとは限りません。しほりさんのインタビュー記事は、前を向く心のもち方や心の逃がし方など、自分も他者も追い込まない言動を考える上で非常に参考になるのではないでしょうか。逆を言えば、生活の軸や質について思うところがある方々の日々を考えるヒントにもなるのではないかと思います。
七尾市
珠洲市から能登町を経て七尾市へ。
毎月のように釜石からボランティアで通っているハピスコーヒーさんがいる七尾市中島町小牧集会所に立ち寄りました。コーヒーを飲みにきた地元の方々のお茶うけにと、三陸のお菓子をお土産に渡しました。もちろん私も慣れ親しんだコーヒーをいただきました。
支援物資の配布拠点「じんのび広場」として、ここを運営しているNGO協働センターの方々とも意見交換ができ、あらためて現地で活動を続けてくださる方々のサポートとしてこれから何ができるか考えています。
○終わりに
私個人としては、12月から5月末まで繁忙期に突入するので、三陸沿岸にも奥能登にもこれまでのように訪問を重ねることはできないのですが、それでも行ってできることをしたいと思いますし、今いる場所でできることをもっと増やしていこうと思います。
このコラムを読んでいただき、被災地のためや自身のためなど何らかのアクションにつながるとしたらこれほど嬉しいことはありません。これからもよろしくお願いいたします。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
一般社団法人デイリーストックアクション 共同代表 梅沢義明
東京でも銀杏の葉の黄色が濃くなって、朝晩の気温が一桁台の日が増えてきました。あれだけ暑かった日々が懐かしいと言いたいところですが、日中はまだまだ暖かく、長袖を袖まくりするような時間帯もあります。
寒暖差や一年の疲れが出る年の瀬が近づいてきましたので体調には気をつけましょう。
○岩手県三陸沿岸南部を旅する2日間
1ヶ月ほど前のことですが、岩手県三陸沿岸南部のツアーに参加してきました。大槌町や釜石市で暮らしている間はこうしたツアーに参加することもなく、どちらかと言えばツアー等の観光で訪れた方々をアテンドしたりおもてなししたりする側でした。
今回は「移住・定住」をテーマに三陸沿岸の生活に興味をもっている方々向けのツアーでした。震災後、私はこの地域で長く暮らしてきましたが、2年前に沿岸を離れましたので、この地域の今を知るには良い機会ではないかと思いツアーに応募しました。申込み多数の末、抽選により当選でき、参加できることになりました。
拠点を東京に移して以降もライフワーク等で度々帰ってきていましたが、ツアーで巡る先には、お世話になった方々との再会の場面も多くありそうで、とても楽しみでした。
(画像クリックで拡大)
岩手県を大きく分けるとこのようになります。
沿岸中央部の山田町と大槌町で南北に分けて、今回は住田町、大船渡市、釜石市、そして大槌町を巡る沿岸南部のツアーとなります。(陸前高田市は今回訪問なしでした)
○いわて三陸うみまちJOURNEY
ツアーの窓口であるトラベル・リンク株式会社は、私が大槌町で地域コミュニティの構築に努めていた頃に知り合い、交流事業関連でお世話になりました。ツアーなので忙しない感じになるのは仕方ないとして、各自治体、各団体の「移住・定住」の課題感を確認し、今後も自分にできることをしていこうという思いを担当者に伝え、参加しました。
○再会と新たな出会い
このツアーのまとめが公開されていました。
リンクを貼り付けましたので、どうぞご覧ください。
【ツアーレポート】いわて三陸うみまちJOURNEY2日間
https://travel-link.jp/archives/30400
全体像はツアーレポートでご確認いただき、ここでは各地での再会と新たな出会いのひとコマを写真で紹介いたします。
住田町の施設を案内してくださった関さんは以前からの知り合いです。
県外の方が多いツアーなので県外からの移住者である関さんの話は
話を聞く前段としてとても良かったです。
住田町は町産材や県産材の利活用が目に見える風景があります。
震災時に県ではなく町で建てた木造の仮設住宅の当時の様子が残されています。
配置や調度品などから大槌町での仮設住宅暮らしを思い出しました。
ログハウスや木造の平屋建てに興味がある方向けに
移住する住宅や区画が整備されると良いなと感じました。
大船渡と言えばキャッセン大船渡という複合施設。
ライフワークの小さなテントサーカスでもお世話になった場所です。
そこの運営に携わる千葉さんもまた以前からの知り合いです。
昔は夜の宴席でしか会わないねと冗談を言ったものですが
これからの大船渡のために日夜尽力する姿があります。
三陸沿岸で暮らしてきた方々は誰もみな悲しみを背負っていますが
ここ大船渡で千葉さんが楽しそうに酔っぱらっている風景があるなら
それはきっと良い町である証だと思います。
初日の夜は釜石で懇親会がありました。
釜石にいたら誰もが一度はお世話になる居酒屋マミー。
壁にはラグビーのポスターがあり、訪れた選手たちのサインもありました。
私は選手ではないので一緒に写真だけ。
翌日は早朝から駅前のサンフィッシュで贅沢朝ごはん!
魚食普及コーディネーターの清原さんにお世話になりブリを捌きました。
清原さんは釜石市地域おこし協力隊として
釜石の魚や海の魅力を伝える活動をしています。
私は復興支援員として、清原さんは地域おこし協力隊として、
ともに総務省の事業の枠組みで移住しましたが、
復興支援員から地域おこし協力隊が活躍するフェーズに移って
清原さんのような方が地域を盛り上げてくれて
自身がそれを楽しんでくれていることを嬉しく思います。
大槌町文化交流センターおしゃっちの施設内にある震災伝承コーナーでは
この町の震災語り部や企業研修のコーディネーターとして活躍する神谷さんに
この町を知る上で欠かせない出来事についてお話しいただきました。
このコーナーで流されるビデオは50回近く見ているのですが
そのすべてで涙が溢れてしまいます。
涙を流して良い場所でもあるのですけどね。
おしゃっちではお昼にお弁当をいただきました。
「ファミリーショップやはた」のお弁当でした。
何がある訳でなくても立ち寄って「お茶っこ」する場所でしたし
いつも笑って迎え入れてくれるお母さんでした。
震災後、自宅を改装してボランティア受け入れの部屋を提供したり
私たち移住者の良き理解者でした。
食材がたくさん使われているものの
いたって普通に見えるかもしれないお弁当ですが
松茸ごはんや鹿肉など地元の食材がふんだんに使われていました。
「移住・定住」で県外からやってくるツアーの方々のために
限られた予算の中でも「これを食べさせたい、あれも食べさせたい」と
いつものおもてなしの心で対応くださったのだと思いました。
こうした説明の後にお弁当をいただくと感じ方も違うでしょうね。
○カタチはどうであれ
この他にも行く先々で再会がありました。
あらためて三陸沿岸に自分は生かされていたことに気づきます。
清原さんのような専門知識に長けた方が地域のバランサーとして活躍し、外部人材が自分の好きなことを楽しそうにやっていてくれると地域の人も嬉しいしありがたいと思うので、そうした方々が移住までいかなくても関わり続けてくれることが大切だと思います。
地域おこし協力隊は、こうした専門性のある人か泥臭く地域の中に入って行ける人かがポイントだと思います。行政と民間をつなぐポジションで良いも悪いも踏まえた上で地域のために立ち振る舞える人材になっていけたらなお良いですね。
今回のツアーで再び訪問してくださる方がいたらありがたいです。
あくまでも私の経験に基づくものですが、寄り添い型の事業や支援の場合、その地域にはその地域のやり方があり、結論を急がない、極端なことを言えば結論を出さないでおく場合が良いこともあって、復興支援員も地域おこし協力隊も期限がある活動ですが、その期限のうちに成果を急がないという矛盾やジレンマを経験することになると思います。
ひと昔前の地域おこし協力隊のイメージでは、「自分探し」のための活動のように揶揄されて地域の方々とトラブルになることもありました。圧倒的に稼ぐ能力がある人が様々な軋轢を生みながらも結果を残していくことも是としてある一方で、寄り添い型の活動をしようと思うならば、普段から「○○すべき」「○○しなければならない」という表現を多用せず、まずその思考のベースを組み直してみると良いです。
その意味では、今、奥能登でも、地域おこし協力隊制度を活用した人材が各地で活動していますが、その方々の多くが石川県内だったり自身も被災していたりするので、被災も経験し支援も経験しているような人材が、引き続きこれまでの経験を惜しみなく伝え、ともに活動していけるようになればと思います。
○「移住・定住」はハードルが高い?
現在、「移住・交流」という括りで様々な取り組みが全国的に行われています。「全国的」に行われているため、どこも似たり寄ったりで、判で押したようなたてつけになりがちです。失点することを避けたい役場職員の中には「やった感だけほしい」担当者や部署の上司もいます。情報量の多さほど切実ではない現状があるのかもしれません。
人口減少を悪として捉えるのではなく受け入れてその上で今より良くしていくために外部人材に関わってほしいとするスタンスの方を説明していけば、参加者も「関わりしろ」の感度が上がるように思います。
東北の場合は、被災と支援の関係を再構築していくことでカタチにはしやすいと思いますが、つながりの多くは、地縁血縁によるものを除けば、ベースになる拠点との距離も大きく影響してきます。遠いことをネガティブに捉えるのではなくて、遠いからこそ保たれた風景や暮らしをポジティブなものに変換してほしいと思います。地方の人は「ここには何もない」と言いますが、都会の人からすれば「都会にないものがここには全部ある」と感じるものですから。
私の場合は、せっかく移住するのだから、その土地の風土的な魅力や民話を探求したいと思って生活をしてきました。移住する前に下調べしたことを現地で確認し、そこから派生して地域への関心がより高まり、続いてほしい生活様式や残したい風景について考えるようになりました。
○先輩移住者として紹介したい風景
ツアーではいくつか観光スポットも巡りましたが
住田が誇る鍾乳洞の滝観洞(ろうかんどう)には立ち寄りませんでした。
「移住・定住」をテーマにしているのですから
先輩移住者としてお勧めしたいのは「松日橋(まつびばし)」です。
(ともに2021年8月撮影)
ラオスの原風景を見ているような光景ですが
この橋とともにある地域の暮らしを伺い知ることができます。
こうした場所がただ残されているだけでなく
日常に溶け込んでいることが素敵だなと思います。
(参照)「絆」の橋 たとえ流されても… 岩手 住田町
https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/003/10/
こうした風景に心を打たれてファンになってくださり
時々訪問するなどして交流が続いていくことが
その先に何かが生まれるきっかけとなると思います。
(東海新報 2017年10月17日付7面より)
(参照)古き良さで門出祝福、昔ながらの手づくり結婚式/住田町
https://tohkaishimpo.com/2017/10/17/178941/
こうして記事にすることで、直後でなくとも、後年この記事や写真を見て、
松日橋に会いに行きたいと思っていただけたら幸いです。
○そして奥能登へ
珠洲市と輪島市
10月にキッズフェスタ2024の出展ブースにおいて「能登半島豪雨被害支援 土嚢袋に応援メッセージを描こう」というお絵かきのワークショップをさせていただきました。たくさんの子どもたちがお絵かきに参加してくれました。どの絵もエナジー溢れるものばかりで温かい気持ちになりました。
(参照)三陸うめちゃんコラムVol.9
https://dailystockaction.com/vol-9/
その土嚢袋を、その他、屋根の補修補強などに必要としている資材とともに、珠洲市の支援団体「ボラキャンすず」にお届けしました。
輪島市門前町で活動しているRQ能登には、同様に今必要としている資材を再確認して現物を郵送いたしました。RQ能登では釜石から駆けつけて活動している知人がいます。
豪雨災害が発生して以降、現場は更に大変な状況で、ほしいものリストがブラッシュアップされていない可能性が高いので、活動を知ることができるSNSなどで情報を確認したり、最優先のニーズを問い合せするなどして、受け入れる側とのギャップを少なくしたいものです。
能登町
珠洲市に資材を届けに行った帰り道で、能登町の数馬酒造を訪問しました。
盛岡の赤武酒造とのコラボ商品を飲んだり贈ったりしたこと、美味しくいただいたことをお話でき、他の酒造とのコラボ商品を購入して帰りました。来年はここ宇出津(うしつ)であばれ祭りを見たいです。
その数馬酒造の若女将しほりさんのインタビュー記事が掲載されていました。
家族のカタチ #3(前編)能登編
https://otonasalone.jp/444730/
家族のカタチ #3(中編)能登編
https://otonasalone.jp/457820/
家族のカタチ #3(後編)能登編
https://otonasalone.jp/444735/
能登半島地震からまもなく1年。備えはあるに越したことはありません。ただ、備えがあっても心と体がいつも思った通りに動くとは限りません。しほりさんのインタビュー記事は、前を向く心のもち方や心の逃がし方など、自分も他者も追い込まない言動を考える上で非常に参考になるのではないでしょうか。逆を言えば、生活の軸や質について思うところがある方々の日々を考えるヒントにもなるのではないかと思います。
七尾市
珠洲市から能登町を経て七尾市へ。
毎月のように釜石からボランティアで通っているハピスコーヒーさんがいる七尾市中島町小牧集会所に立ち寄りました。コーヒーを飲みにきた地元の方々のお茶うけにと、三陸のお菓子をお土産に渡しました。もちろん私も慣れ親しんだコーヒーをいただきました。
支援物資の配布拠点「じんのび広場」として、ここを運営しているNGO協働センターの方々とも意見交換ができ、あらためて現地で活動を続けてくださる方々のサポートとしてこれから何ができるか考えています。
○終わりに
私個人としては、12月から5月末まで繁忙期に突入するので、三陸沿岸にも奥能登にもこれまでのように訪問を重ねることはできないのですが、それでも行ってできることをしたいと思いますし、今いる場所でできることをもっと増やしていこうと思います。
このコラムを読んでいただき、被災地のためや自身のためなど何らかのアクションにつながるとしたらこれほど嬉しいことはありません。これからもよろしくお願いいたします。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
一般社団法人デイリーストックアクション 共同代表 梅沢義明
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