三陸うめちゃんコラム
~東日本大震災から11年を迎えて~三陸うめちゃんコラムvol.6
2022年3月10日
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長
梅沢義明(岩手県釜石市在住)
○東日本大震災から11年
「便りの無いのは良い便り」のようなことを言いますが、SNSを含めて更新がしばらくないと、近くにいるひとでもやはり心配のようで、長らく無音に打ち過ぎるのはよくないと思う今日この頃です。
毎年この時期が来るとザワザワする…。三陸沿岸に暮らす方々の胸の内です。私は釜石のラグビーチームの運営に携っているのですが、毎年この時期が近づくと取材依頼が多くなります。そしてごく一部ではありますが、毎年必ず「今それを聞くかぁ…」と悲しくなるような質問をする取材者に出くわします。こちらの伝え方が足りないのだと思うのですが、震災5年を迎える頃から「風化」を心配する声があったことを思い出します。
「釜石鵜住居復興スタジアムは被災した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建てられた」ということを知らないなど、震災10年を迎える年にも関わらず下調べをしないで自分の都合で取材を進めようとしてくる記者に対して、昨年は憤りを感じたこともありました。しかし震災11年は、昨年よりも少し穏やかな気持ちで迎えることができそうです。
○「釜石のために何かしたい」
近年、私たちのチームでは、大学生の短期インターン生を受け入れています。ラグビーをあまり知らないからこその情報発信をお願いすることが多いのですが、今年は地元釜石出身の大学生の受け入れをしています。地元出身の子が地元でインターンをしたいと思ってくれていることが何よりですが、2019年に釜石でも開催されたラグビーワールドカップでは高校生としてボランティア活動に参加し、「釜石のために何かしたい」 「釜石シーウェイブスに何か貢献したい」 「ラグビーに貢献し恩返しがしたい」という想いをもって釜石に戻り、今、嬉々として情報発信してくれていることが感慨深いです。
(地元釜石出身でインターンの堀切友裕くん:最後の写真は2019年当時)
「これをラグビーワールドカップのレガシーと言わずして何と言おうか。」と、堀切くんのインターンを喜ぶ声を聞きました。震災後、特に近年になって人口減少が著しい釜石市ですが、この地で育った若者がここでインターンできる時間をつくれていることが、この町の一助になっているならば幸いです。
○あの時の記憶
1月15日、公式戦開幕前日のことでした。トンガ沖の海底火山が噴火しチームに所属するトンガ出身スタッフの家族らの安否、津波と火山灰の影響を心配する中で、日本全域に津波注意報が出されている様子をテレビで見ていました。津波の高さを表す1mという数字を見て、大したことはないと思ってしまう方がいるのではないかと私の心はザワつきました。
(公式戦前夜でしたが眠れない夜を中部地方のホテルで過ごしました)
岩手県に津波警報が出された時、「なぜ岩手だけ」のような気持ちが込み上げてきました。深夜にも関わらずSNSでは多くの知り合いが投稿をしていました。あの時の記憶がそうさせたのかもしれません。しかも今回は夜中です。夜中に無理に移動をして、かえって危ない状況にならなければいいなとも思いました。
(津波は低くても危険ということを的確に教えてくれる図)
○教訓は生かされるのか
東日本大震災以来となる津波警報が発令された三陸沿岸部では、避難指示対象者のうち実際に避難した人の割合はわずか4%だったことがわかりました。
・テレビで様子を見てしまった
・注意報なので大丈夫だと思ってしまった
・外も寒くて暗いので避難をためらってしまった
・堤防もできたし大丈夫と思った
決して防災減災の意識がなかった訳ではありません。夜中でも防災無線やメールなどでアラームは鳴っていました。防災対策が進んだことによる安心や地震の揺れを伴わない津波だったこと、夜や冬といった悪条件だったことなど、行動が鈍ることを想定した訓練や意識づけが必要だということをあらためて感じることになったのではないでしょうか。
○被災した釜石だからこそ
おかげさまでトンガ出身のチームスタッフの家族が無事でいることが確認できました。しかしトンガでは雨水をタンクに貯めて生活用水として暮らす家庭が多いため、津波の影響がないような地域でも火山灰の影響で水の確保が困難であることを知りました。
ラグビーという競技において、トンガという国はとても身近な国です。日本代表に選出されている選手にトンガ出身の選手は少なくありません。そのため、ラグビーファミリーにはいち早くトンガ支援の動きがありました。私たちも次の試合の時にはチャリティーTシャツを販売してメッセージを届けましたし、多くの方々が自らメッセージを発していたと思います。ラグビーの力を強く感じた時でした。
(これがラグビーの力!ラグビーファミリーの結束力!)
ほとんどのチームがトンガ支援のために動いている中で、私たちのチームに多くの支援が集まりました。
「被災した釜石だからこそ思いを託したい」
そのような方が決して少なくないのです。私たちを選んで支援をしてくださっていることに対して感謝申し上げます。引き続き襟を正して活動して参ります。
○新しい出会い
また「地域福祉の視点から、釜石鵜住居復興スタジアムでラグビーワールドカップが開催できたのはなぜかを卒業論文にしたい」と、神奈川県の大学生から連絡をいただきました。ラグビー観戦が好きだというその大学生が神奈川で行われる試合を観戦しに行きますと。
(手作りの応援グッズを手に気後れすることなく写真撮影に応じてくれました)
釜石に縁もゆかりもない彼女ですが「必ず釜石に行きます」とメッセージをくれました。インターンとはまた違う出会い方ですが、ラグビーのご縁に感謝です。
○「ある」の反対
まもなく3月11日。震災から11年。お世話になった方々のご逝去の報に接する機会が多くなりました。この先物事を考える時に、「あの人がいたら何と言うだろうか」と思うような方々の訃報が続いています。
随分と昔のことですが、私が国語の教師をしていた時代に、「ある」(動詞)の反対語が「ない」(形容詞)である理由について話すことがしばしばありました。「あるという状態で存在している」ことに対して「ないという状態で存在している」と。ここで暮らすようになって、自分で話していたことがストンと腑に落ちます。
ここ三陸岩手は、日本の民話のふるさとでもあります。目に見えないものをどう恐れていいのかわからない昨今ですが、目に見えないものの存在を安心につなげることができるのも私たちだと思います。
○終わりに
文字に綴ったり建てたり遺したり。口伝えで伝承されてきたものもあります。想いが見える風景をつくるということにおいて、大槌町ではすでに高校生のアイディアが形になったものもあります。壊れて直せるものを定期的につくることで忘れないようにと。
(大槌町安渡の木碑 壊れないものをつくるのではなく壊れて直すことを前提に)
(大船渡の竹あかり/熊本とのつながりがあり毎年作成される)
こちらは先日撮影に行ってきました。
(釜石鵜住居復興スタジアムは子どもたちの笑顔があふれる場所であってほしい)
この場所で子どもたちが笑っている風景をずっと見ていたいと思います。
(「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」の続きをこの場所で)
想いが見える風景について、今は自分がここにいるということがそこにつながっていればいいなと自分に言い聞かせながら活動していますが、限りある人生の中で、想いを手渡しできるような瞬間はと考えると、この3.11はまさにそうした時なのではないかと思います。
3月11日は翌日の試合準備、献花と黙祷、きっと涙。
被災地は東北だけでなく全国、そして世界のいたるところに存在しています。自分の手は振り上げる拳をつくるのではなくて、差し伸べるためにありたいと思います。
3月12日、この釜石鵜住居復興スタジアムで、ジャパンラグビー リーグワンの公式戦を開催できることに感謝申し上げます。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長 梅沢義明
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長
梅沢義明(岩手県釜石市在住)
○東日本大震災から11年
「便りの無いのは良い便り」のようなことを言いますが、SNSを含めて更新がしばらくないと、近くにいるひとでもやはり心配のようで、長らく無音に打ち過ぎるのはよくないと思う今日この頃です。
毎年この時期が来るとザワザワする…。三陸沿岸に暮らす方々の胸の内です。私は釜石のラグビーチームの運営に携っているのですが、毎年この時期が近づくと取材依頼が多くなります。そしてごく一部ではありますが、毎年必ず「今それを聞くかぁ…」と悲しくなるような質問をする取材者に出くわします。こちらの伝え方が足りないのだと思うのですが、震災5年を迎える頃から「風化」を心配する声があったことを思い出します。
「釜石鵜住居復興スタジアムは被災した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建てられた」ということを知らないなど、震災10年を迎える年にも関わらず下調べをしないで自分の都合で取材を進めようとしてくる記者に対して、昨年は憤りを感じたこともありました。しかし震災11年は、昨年よりも少し穏やかな気持ちで迎えることができそうです。
○「釜石のために何かしたい」
近年、私たちのチームでは、大学生の短期インターン生を受け入れています。ラグビーをあまり知らないからこその情報発信をお願いすることが多いのですが、今年は地元釜石出身の大学生の受け入れをしています。地元出身の子が地元でインターンをしたいと思ってくれていることが何よりですが、2019年に釜石でも開催されたラグビーワールドカップでは高校生としてボランティア活動に参加し、「釜石のために何かしたい」 「釜石シーウェイブスに何か貢献したい」 「ラグビーに貢献し恩返しがしたい」という想いをもって釜石に戻り、今、嬉々として情報発信してくれていることが感慨深いです。
(地元釜石出身でインターンの堀切友裕くん:最後の写真は2019年当時)
「これをラグビーワールドカップのレガシーと言わずして何と言おうか。」と、堀切くんのインターンを喜ぶ声を聞きました。震災後、特に近年になって人口減少が著しい釜石市ですが、この地で育った若者がここでインターンできる時間をつくれていることが、この町の一助になっているならば幸いです。
○あの時の記憶
1月15日、公式戦開幕前日のことでした。トンガ沖の海底火山が噴火しチームに所属するトンガ出身スタッフの家族らの安否、津波と火山灰の影響を心配する中で、日本全域に津波注意報が出されている様子をテレビで見ていました。津波の高さを表す1mという数字を見て、大したことはないと思ってしまう方がいるのではないかと私の心はザワつきました。
(公式戦前夜でしたが眠れない夜を中部地方のホテルで過ごしました)
岩手県に津波警報が出された時、「なぜ岩手だけ」のような気持ちが込み上げてきました。深夜にも関わらずSNSでは多くの知り合いが投稿をしていました。あの時の記憶がそうさせたのかもしれません。しかも今回は夜中です。夜中に無理に移動をして、かえって危ない状況にならなければいいなとも思いました。
(津波は低くても危険ということを的確に教えてくれる図)
○教訓は生かされるのか
東日本大震災以来となる津波警報が発令された三陸沿岸部では、避難指示対象者のうち実際に避難した人の割合はわずか4%だったことがわかりました。
・テレビで様子を見てしまった
・注意報なので大丈夫だと思ってしまった
・外も寒くて暗いので避難をためらってしまった
・堤防もできたし大丈夫と思った
決して防災減災の意識がなかった訳ではありません。夜中でも防災無線やメールなどでアラームは鳴っていました。防災対策が進んだことによる安心や地震の揺れを伴わない津波だったこと、夜や冬といった悪条件だったことなど、行動が鈍ることを想定した訓練や意識づけが必要だということをあらためて感じることになったのではないでしょうか。
○被災した釜石だからこそ
おかげさまでトンガ出身のチームスタッフの家族が無事でいることが確認できました。しかしトンガでは雨水をタンクに貯めて生活用水として暮らす家庭が多いため、津波の影響がないような地域でも火山灰の影響で水の確保が困難であることを知りました。
ラグビーという競技において、トンガという国はとても身近な国です。日本代表に選出されている選手にトンガ出身の選手は少なくありません。そのため、ラグビーファミリーにはいち早くトンガ支援の動きがありました。私たちも次の試合の時にはチャリティーTシャツを販売してメッセージを届けましたし、多くの方々が自らメッセージを発していたと思います。ラグビーの力を強く感じた時でした。
(これがラグビーの力!ラグビーファミリーの結束力!)
ほとんどのチームがトンガ支援のために動いている中で、私たちのチームに多くの支援が集まりました。
「被災した釜石だからこそ思いを託したい」
そのような方が決して少なくないのです。私たちを選んで支援をしてくださっていることに対して感謝申し上げます。引き続き襟を正して活動して参ります。
○新しい出会い
また「地域福祉の視点から、釜石鵜住居復興スタジアムでラグビーワールドカップが開催できたのはなぜかを卒業論文にしたい」と、神奈川県の大学生から連絡をいただきました。ラグビー観戦が好きだというその大学生が神奈川で行われる試合を観戦しに行きますと。
(手作りの応援グッズを手に気後れすることなく写真撮影に応じてくれました)
釜石に縁もゆかりもない彼女ですが「必ず釜石に行きます」とメッセージをくれました。インターンとはまた違う出会い方ですが、ラグビーのご縁に感謝です。
○「ある」の反対
まもなく3月11日。震災から11年。お世話になった方々のご逝去の報に接する機会が多くなりました。この先物事を考える時に、「あの人がいたら何と言うだろうか」と思うような方々の訃報が続いています。
随分と昔のことですが、私が国語の教師をしていた時代に、「ある」(動詞)の反対語が「ない」(形容詞)である理由について話すことがしばしばありました。「あるという状態で存在している」ことに対して「ないという状態で存在している」と。ここで暮らすようになって、自分で話していたことがストンと腑に落ちます。
ここ三陸岩手は、日本の民話のふるさとでもあります。目に見えないものをどう恐れていいのかわからない昨今ですが、目に見えないものの存在を安心につなげることができるのも私たちだと思います。
○終わりに
文字に綴ったり建てたり遺したり。口伝えで伝承されてきたものもあります。想いが見える風景をつくるということにおいて、大槌町ではすでに高校生のアイディアが形になったものもあります。壊れて直せるものを定期的につくることで忘れないようにと。
(大槌町安渡の木碑 壊れないものをつくるのではなく壊れて直すことを前提に)
(大船渡の竹あかり/熊本とのつながりがあり毎年作成される)
こちらは先日撮影に行ってきました。
(釜石鵜住居復興スタジアムは子どもたちの笑顔があふれる場所であってほしい)
この場所で子どもたちが笑っている風景をずっと見ていたいと思います。
(「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」の続きをこの場所で)
想いが見える風景について、今は自分がここにいるということがそこにつながっていればいいなと自分に言い聞かせながら活動していますが、限りある人生の中で、想いを手渡しできるような瞬間はと考えると、この3.11はまさにそうした時なのではないかと思います。
3月11日は翌日の試合準備、献花と黙祷、きっと涙。
被災地は東北だけでなく全国、そして世界のいたるところに存在しています。自分の手は振り上げる拳をつくるのではなくて、差し伸べるためにありたいと思います。
3月12日、この釜石鵜住居復興スタジアムで、ジャパンラグビー リーグワンの公式戦を開催できることに感謝申し上げます。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
デイリーストックアクション実行委員会 副委員長 梅沢義明
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