三陸うめちゃんコラム
三陸うめちゃんコラムvol.8~珠洲市で災害ボランティア活動~
○長らく無音に打ち過ぎまして
うめちゃんコラムを更新しないまま2023年が過ぎてしまいました。この一年で環境も変わりまして、私は釜石から東京に拠点を移しました。思えばコロナ禍で3年ほど気軽には往来できない日々で活動もとまってしまっていましたが、今はライフワークも含め大変忙しく活動させていただいております。
関東大震災から100年という2023年9月に、デイリーストックアクション実行委員会は法人化し一般社団法人デイリーストックアクションになりました。実行委員会発足当初よりも家庭の備蓄への意識は高くなってきたとは思いますが、災害の多い日本で「我が家も大丈夫」という家庭を増やすため、これまで以上に取り組んで参ります。
2023年も各地で災害が起きました。私は、秋田市、五城目町、北茨城市、いわき市でそれぞれ災害ボランティア活動をさせていただきました。大晦日に「災害が少ない一年でありますように」と地元の神社で願った矢先、2024年1月1日、能登半島で大きな地震が…。
○珠洲市で災害ボランティア活動
まとまった時間がとれるまで半年近く経ってしまいましたが、6月に石川県珠洲市で災害ボランティア活動をさせていただきました。
蛸島町の鉢ヶ崎オートキャンプ場でボラキャンすずを運営されているSAVE IWATE の寺井さんに事前に相談し、個別ニーズにも対応されているとのことで、数日ですが活動をさせていただきました。すぐ近くに仮設団地もありいろいろと思い出す数日間でした。
ただ仮設の集約がすでに始まっており、時間軸は東日本大震災よりも早いですが、みなし仮設、仮設集約、解体申請など、あの時の感情はそのままでした。
立派な黒い瓦屋根に押し潰された家屋。恐らく1、2年は解体されない建物。今までの暮らしをあきらめて伝統的な生活の品々を処分する傾向が…。立派なお膳、お椀などを倒壊した蔵や納屋でたくさん見ました。
お祭りや慶弔事の度にたくさんひとが集まるヨバレ文化。あの時、残しておいたら良かったといつか思う時がくるかもしれないので、使えるものは拭いてさしあげて保管したり、大切にしてくださる方に託したり、でも今は感情がそこまでいかないよなと逡巡しながらも前を向く被災された方々と一緒に片付けをしながらたくさんお話もできました。
○発災から約半年…。目の前の風景に想いを致す
車を走らせていて最も印象的だったのは、黒い瓦屋根のお宅が倒壊した風景がずっと続いていることでした。珠洲市内に限らない風景でした。
黒い瓦は連結されているようで屋根瓦が大量に落ちた訳ではなく、むしろ立派な黒い瓦屋根はそのままに板壁や納屋などの構造の建物を押し潰すように倒壊していました。
震災ゴミを運びに何度も往復した飯田港仮置き場に向かう途中には横倒しになった船や被害を受けた車がそのままにされた風景がありました。道は思っていたよりも走れましたが、
それでも至るところボコボコです。要段差注意です。
街灯の明かりとまばらな生活の明かり。倒壊していない黒い瓦屋根には梅雨に備えて浸水しないようにブルーシートが張られていました。
みなし仮設なのか最近できたアパートが黒い瓦屋根の風景の中に突然現れます。広い伝統的な家屋から避難所に移り、そして仮設住宅に移ることの心的影響。心を保つための外部からの活動がもっとあって良いと感じました。
○現地での活動
珠洲市内は飯田町、正院町、若山町と内浦の中心市街地に近い地域と、外浦の大谷町で活動させていただきました。
峠を越えて大谷地区の玄関口にあった地域で一軒のスーパーおおたに。スーパーおおたにの倒壊により地区の皆さんは約20km離れた内浦エリアや道の駅に買い物に行くしかないのだとか。
私が暮らした釜石で例えるなら海沿いを走れないから鵜住居から笛吹峠を越えて遠野に行くとか、同じく大槌で例えるなら町方方面に行けないから柾内から土坂峠を越えて小国に行くような。
この地域の道路は地震で歪み、裏山や崖の大規模崩落で寸断されてしまい、支援活動が最も遅れた地域のひとつ。それゆえに被災家屋の解体申請も遅れ、様々なことが後回しになりそうで、気丈に振る舞っていた家主の心のうちを一緒に片付けをしながら心配していました。
強い日差しを避けるべくお昼休憩時に日陰を探して活動場所近くの大谷小中学校へ。体育館が避難所になっていました。この小中学校はとても綺麗な建物でした。大槌で例えるなら大槌学園みたい。昼間は避難者が少ないのもあってか避難所の休憩スペースを貸していただけ、責任者の方からは活動のお礼や気軽にまた避難所に来てほしいことなど、会話ができることを喜んでいるようでした。
避難所の写真は撮っていませんが、段ボールでの間仕切りではありますがパーソナルスペースの確保はされ、乳幼児スペースとなる小型テントも設置、デジタルサイネージによる
お知らせもありました。何よりトイレが綺麗で女性陣には良かったし、冷房もきいていて小一時間の休憩の場として私たちには快適でしたが、周りを気遣って息をひそめての暮らしは穏やかなものではないと思います。きっとまたここに来る。そう感じました。
避難所に設置されたテレビ。郷土の大の里関や遠藤関の活躍は心強く映ったことでしょう。東日本大震災の時は、サッカーのチャリティマッチでカズさんがゴールを決めたり、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したり。メジャーリーグで活躍するオオタニサンにもこの写真が届いたらと思います。オオタニサンの活躍を避難所に設置されたテレビを見て喜んでいる方々は決して少なくない。そんな風に感じました。
○災害ボランティア活動拠点について
私がお世話になったボラキャンすずの拠点は蛸島町の鉢ヶ崎オートキャンプ場にあり、ここのテントサイトで寝泊まりしました。
アウトドアメーカーが提供をしたテントで、ひとり用の設置済みテントを借りましたが、持参したテントを張ることもできます。日中は連日30℃を超える暑さでも、朝晩は20℃を下回り肌寒さを覚えます。無料で寝袋を借りることができ、標準装備のクッションシートと断熱シート、それでサイト利用料は1泊500円。
ボランティア活動をさせていただく際に宿泊場所とトイレ、お風呂、洗濯がとても気になるところ。キャンプが嫌でなければ泊まる場所は問題ないと思います。トイレは仮設ながら洋式もあってあまり気にせず便座に座れるぐらい綺麗に使用されていました。利用時間は限られていますがコインシャワーがあり洗濯乾燥もできます。共同ですが炊事場もあります。
私は常温保存のレトルト食品や大豆などが主原料の固形補助食品を持参し、持ち帰れるものは持ち帰り、ゴミのかさを極力減らすようにしました。また暑いのでゼリー飲料もたくさん準備して行ったのも良かったです。DSAを推進している立場なのでキャンプでその有用性を確認できました。
仮設トイレはどこに行ってもにおいがするし汚かったり流れなかったりするので、それなりに覚悟が必要ですが、数は少ないながらも洋式タイプがあるのが精神的な救いだと思います。お昼休憩での食事もほぼゼリー飲料にしていたので、活動中のトイレの心配も汗で放出されるためしないですみました。
一日の活動を終えて一番ホッとできるのが近隣仮設団地にある自衛隊のお風呂。被災者優先ですがボランティアも無料で利用させていただけます。脱衣場があってシャワーもカランもあって首まで浸かれる温かいお風呂に入れる幸せ。京都の自衛隊によるお風呂です。お風呂から出て見上げる空がとても綺麗でした。
その他、市内には車で行ける範囲にいくつかコインランドリーがあるので私はこちらを利用しました。数少ないコンビニやドラッグストア、ガソリンスタンドも早くに営業終了してしまうので、早寝早起きで健康的です。
道の駅すずなりは時短営業ですが駐車場で仮眠できトイレも24時間使えます。車中泊の方も結構いました。
○再開した個人商店と道の駅を訪ねて
災害ボランティア活動を終えて、もうひとつの目的である再開した道の駅や個人商店の訪問をしてきました。
珠洲市内では映像による支援団体MuTubeで紹介されていたいろは書店さんに。能登の震災本とお祭り等の魅力を伝える本といろは書店オリジナル缶バッジを購入。ここはひとが集まるカフェ的な場所として温かみと様々な情報に触れるためにこれから私も通おうと思いました。
MuTube-被災地と未災地をよくするメディア-
映像本編はこちら
https://youtu.be/D5--G5uOvZA?si=Ky85cNbkUXr-dL1w
おかあさん
お話ししてくださりありがとうございました!
能登半島先端の珠洲市にいるのだから更に先っぽの狼煙(のろし)地区の道の駅で、ここにしかない幻の大豆を買おうと訪問。関連商品も購入しました。
7月初旬のDSAのミーティングで豆乳にして飲んでみようと思います。動画撮影して発信もしたい。
そこから南下してのと里山空港へ。ここで数馬酒造の竹葉に出会いました。被災前の在庫の中の1本。被災した数馬酒造は盛岡の赤武酒造で復興の絆とも言える受託醸造の仕込みをし、まもなく販売予定(6月中旬)となっています。赤武さんは元大槌の酒蔵で今は盛岡で頑張っています。赤武さんの竹葉はキンキンの冷やでどうぞ!
のと里山空港に隣接して日本航空石川高校があります。スポーツの強豪校としてお馴染みの学校ですね。ですがこちらには生徒はおらず、同じ系列校の山梨に移っています。
雄飛寮はボランティアの活動拠点として利用することが可能です。ボランティア受入れの担当者に聞いたらラグビー選手は頼りになる印象ですと。皆さん出番ですよ!
石川県の内浦側にはのと鉄道が七尾から穴水まで走っています。穴水から珠洲の間は鉄道がありません。能登鹿島駅は能登さくら駅として桜が咲く季節のニュースで報じられました。今は紫陽花が綺麗に咲いています。平日なので人数は少ないですがのんびりとのと鉄道旅を楽しんでください。ここから旅の思い出にポストカードを投函してみては。
七尾の食祭市場は現在週末のみ営業のようで、私が訪れた時は1階が閉鎖中で2階レストランは営業中でした。駐車場側の通路はガタガタしていて入口前に潮溜まりができていました。ですがさすが七尾市、賑わいがありました。
その他、穴水駅は改装工事中でしたが、のと鉄道は運行していて、駅前がボランティア拠点になっているので、道の駅も県外のひとで賑わっていました。近くに出身力士の遠藤関の展示があります。被災した神社の写真が穴水です。
現地でサポート活動をしている方々から能登にはもういつでも来てもらって大丈夫ですよと言葉をいただいていました。7月から各地でお祭りが行われます。能登町宇出津のあばれ祭を見たい!これから夏休みにかけて観光と少しボランティアもしてもらって能登を身近に感じていただけたら幸いです。
○終わりに
釜石でお世話になっていたハピスコーヒーさんが、キッチンカーで能登の避難所や仮設団地等を訪問しています。私はいつも少し甘めのコーヒーを淹れていただいていました。東日本大震災のあの時と同じ状況になりつつあることに心をいためていらっしゃいました。きっと皆様の心に寄り添うお言葉をかけてくださると思いますので、コーヒーと一緒に少し会話をしていただけたらと思います。疲れた体と心に沁みわたる一杯をどうぞ。
能登半島での発災から半年が過ぎました。7月、8月も能登半島で活動をさせていただきます。できることに心を込めて。そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
一般社団法人デイリーストックアクション 共同代表 梅沢義明
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