三陸うめちゃんコラム
三陸うめちゃんコラムvol.9~記録的豪雨から1週間 能登半島での災害ボランティア活動~
○能登豪雨
前回、奥能登を訪問してから月に1度は訪問をと思っていましたが、自家用車のメンテナンスの必要に迫られ、車が戻ってきたのが9月中旬になってしまいました。再び災害ボランティア活動をさせていただく準備をしていた矢先、あの豪雨被害が…。
やっと少しずつ前に進めそうな状況が見えてきたと思ったら、電気やガスが止まりまたしても断水。更に崖や道路の崩落、土砂や流木の流入流出で田畑はもちろん、仮設住宅も床上床下浸水になってしまいました。
○発災から一週間後
緊急車両の通路確保や孤立を防ぐために重機での啓開(けいかい)の様子が現地から動画で次々に送られてきました。初動は重機隊にお任せするとして、かける言葉が見つからないような状況で、気力を失いすべてを諦めてしまうような感情で心が埋め尽くされてしまわないように、とにかく行ってできることをする、ただハグをしに行くだけでもと、ひとりじゃないことを知って何とか心を保ってほしいという気持ちで能登半島に向かいました。まとまった大きな力は確かに重要ですが、ひとりの小さな手が消えそうな心の灯を守れることもある。そう思い、ただ行動あるのみでした。
とは言え、通いでの個人活動には時間的にも資金的にも限りがあるため、災害ボランティア活動に際し、高速道路無料措置があるのは非常にありがたいことです。そのおかげで次も行ける目途がつくからです。無料措置を受けるには災害ボランティアセンターを窓口にした活動をして、活動終了後に申請書に押印をしてもらう必要があります。迷わず大変そうな水害ボランティアに登録しました。
前回訪問した地域のその後の状況も確認したかったので、予定を詰め込み過ぎず、のりしろを多くとって現状を把握し、次回必要な資材等の準備をするための現地調査的な意味合いも含めて各地をまわることにしました。
○再び珠洲市へ
前回の訪問で勝手知った珠洲市内。
流木だけの災害廃棄物仮置き場は既に山のように積まれていました。
飯田港と若山川の河口は一週間経ってもまだこんな様子です。
何もなければ本当に綺麗な海なので本当に悲しい。悔しい。
公費解体等で少し更地は増えたものの、お正月から変わらない風景に加えて
河川氾濫の影響があちこちに。晴れたら晴れたで道路の土埃が酷いです。
前回の訪問で大変お世話になった自衛隊のお風呂は自衛隊の撤退をもって終了していました。
○輪島市河井町にて
豪雨の発災前、石川県内での緊急支援的なサービスの終了を9月30日に設定しているものがいくつもありました。その先の不安を煽るような知らせに、これで良いのだろうかという風景を想像して9月末に現地入りする予定でした。
輪島市河井町には早朝に到着しました。何度も映像で見た地震で倒れたビルはそのままの姿でした。横たわったビルの前をマスクをした小学生が登校していきます。
川沿いの道は土埃が酷かったです。
市役所前の更地に次々に並ぶ通勤車両。まだ中心市街地の影も形もなかった2015年頃の大槌町役場職員駐車場を思い出してしまいました。
○前を向く力はそのひとの心に働きかけるきっかけひとつで湧き出てくる
そのビルを通り過ぎて海沿いのエリアへ向いました。
すると見覚えのある知り合いのキッチンカーが!!
大槌町でお世話になった懐かしいce-cafe(シーカフェ)号でした。
知ってて行った訳ではなかったので、言葉に言い表せない嬉しさと元気をもらいました。
同じ岩手ナンバーを見るだけで力が湧いてくるようでした。
Ce-cafe号は1月の発災以来、金沢を拠点に支援の薄い地域での炊き出しや輪島で被災した飲食事業者のつなぎ営業等で活躍。私がこの日見かけた時は、ある一定の役割を終えたとして近日中に帰ることになっていたタイミングでした。
キリコ会館沿いにはタイプが異なる仮設団地があり、特に海に面した仮設住宅を見て、住めば都と言えているだろうかと心情を推察していたのですが、出勤前にゴミ出しをする男性から「おはようございます」と声をかけられ、大槌で仮設暮らしをしていた頃を思い出しました。
全国の病院の小児病棟で慰問活動する日本ホスピタル・クラウン協会は、4月と8月にすぐ近くの重蔵神社とキリコ会館駐車場でクラウンのパフォーマンスをさせていただきました。私は両日とも参加できなかったので次回に備えイメージトレーニングをしました。
○輪島市町野町にて
豪雨災害で最も被害が大きく支援の手が足りない地区のひとつが町野。
災害ボランティアセンターを窓口にした大型バスで町野小学校、東陽中学校に。
休校になっていた学校は10月1日から近くの能登町立柳田小学校で授業を再開することになりました。子どもたちは学校前からバスに乗り柳田小学校に通学です。数名ほど地区外に避難しているほかはみんな一緒に登下校です。
豪雨災害から一週間が経過したものの終わりが見えない風景がありました。
ニーズをつぶしていこうにも窓口となる担当者が足りない現場もあり、愛知からの派遣職員さんと学校に残っている教職員さんが、社協さんが窓口になれない先の一部を誰かに確認をとりながらやる現場でした。
町野に着く直前から雨足が強まり、午後も雨予報で道中の崖崩れの恐れから中止の判断がされても不思議ではない中で、いったん体育館で待機の時間が続きました。ボランティアの皆さんは遠くから来ていて、やれることをやろうよと苛立つひとも。
「イライラしないのも復興支援のひとつ」
言葉には出さずにただただ待ちました。
しばらくして中止に。教職員さんからすれば柳田小学校から子どもたちが無事に帰ってこられるだろうかという心配がある訳ですから無理はできません。担当者となった派遣職員の男性は「対応が遅くてすみません」「遠くから来ていただいたのにすみません」と雨の中、バスを見送りながらずっと頭を下げていました。
「あなたたちが悪いんじゃないから」「またくるからね」
帰りのバスは労いの拍手でいっぱいでした。
悪路や迂回で金沢駅まで片道3時間ほど。更なる崖崩れの恐れがある道を帰りながら撮影した風景がこれです。
避難などで家主がいない中で、豪雨被害を受けたこの地区の更なる孤立を防ぐため、一刻も早い支援の動きをとる中で、つい先程まで大切だったものが瓦礫としてぞんざいに扱われてしまう可能性がここにもありました。
支援をする側として、目の前にあるものがゴミではないことを、大切な思い出や宝物だったことを十分に理解して活動しないととあらためて感じました。
○印象に残った風景
珠洲市野々江町にて、稲の倒伏と屋根瓦の損壊を一枚にとらえた写真。あまりにも大きな被害現場を各地で見てしまったから、ここも地震と豪雨の被害を受けた風景にも関わらず車窓からだと流れてしまう風景。コンバインが使えないので手刈りのボランティアで対応。効率よりも非効率が大切な印象的な風景です。
○観光が大事
ボランティアだけでなく実は能登観光が大事です。
震災と豪雨でどこも行けないのではなく大丈夫なところは大丈夫なのです。
能登町のイカの駅に寄りました。
珠洲市のいろは書店で地元誌を買いました。
金沢市ではDSA的に気になったものをお土産に。
自分用に蒔絵漆芸の名刺入れを買いました。
ボランティアと観光と美味しいものと。
紅葉の足音も聞こえはじめました。
また能登に会いに行かなきゃです。
○できることに心を込めて
能登から帰ってきてすぐの週末は、国立オリンピック記念青少年総合センターでの秋のキッズフェスタ2024に理事を務める笑顔プラス子供支援協会として出展。お声がけいただき初めての出展でした。
協会の取り組み紹介や展示のほかに、「能登半島豪雨被害支援 土嚢袋に応援メッセージを描こう」というお絵かきのワークショップをさせていただきました。たくさんの子どもたちがお絵かきに参加してくれました。どの絵もエナジー溢れるものばかりで温かい気持ちになるものばかりでした。
被災された方々の心に灯りをともし、ボランティア活動に更なる丁寧さを促し、それぞれが穏やかな気持ちになるような素敵な土嚢袋たちが誕生しました。
必要としている資材とともに、10月末には奥能登の支援団体にお届けに伺う予定です。
お絵かきは継続して行いたいと思います。現地での活動は難しくても、絵やメッセージで力になりたいと仰っていただけるのでしたら、是非お願いしたく存じます。詳細が決まり次第ご案内いたします。
○終わりに
豪雨被害は地震被害を上回るほどの状況です。二重に被害に遭ってしまった方々にとってまったく先が見通せない状況です。あれだけ暑かった季節が終わり、再び寒い冬を迎える前に、心に灯をともせる兆しが見えれば。引き続きできることに心を込めて参ります。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
一般社団法人デイリーストックアクション 共同代表 梅沢義明
前回、奥能登を訪問してから月に1度は訪問をと思っていましたが、自家用車のメンテナンスの必要に迫られ、車が戻ってきたのが9月中旬になってしまいました。再び災害ボランティア活動をさせていただく準備をしていた矢先、あの豪雨被害が…。
やっと少しずつ前に進めそうな状況が見えてきたと思ったら、電気やガスが止まりまたしても断水。更に崖や道路の崩落、土砂や流木の流入流出で田畑はもちろん、仮設住宅も床上床下浸水になってしまいました。
○発災から一週間後
緊急車両の通路確保や孤立を防ぐために重機での啓開(けいかい)の様子が現地から動画で次々に送られてきました。初動は重機隊にお任せするとして、かける言葉が見つからないような状況で、気力を失いすべてを諦めてしまうような感情で心が埋め尽くされてしまわないように、とにかく行ってできることをする、ただハグをしに行くだけでもと、ひとりじゃないことを知って何とか心を保ってほしいという気持ちで能登半島に向かいました。まとまった大きな力は確かに重要ですが、ひとりの小さな手が消えそうな心の灯を守れることもある。そう思い、ただ行動あるのみでした。
とは言え、通いでの個人活動には時間的にも資金的にも限りがあるため、災害ボランティア活動に際し、高速道路無料措置があるのは非常にありがたいことです。そのおかげで次も行ける目途がつくからです。無料措置を受けるには災害ボランティアセンターを窓口にした活動をして、活動終了後に申請書に押印をしてもらう必要があります。迷わず大変そうな水害ボランティアに登録しました。
前回訪問した地域のその後の状況も確認したかったので、予定を詰め込み過ぎず、のりしろを多くとって現状を把握し、次回必要な資材等の準備をするための現地調査的な意味合いも含めて各地をまわることにしました。
○再び珠洲市へ
前回の訪問で勝手知った珠洲市内。
流木だけの災害廃棄物仮置き場は既に山のように積まれていました。
飯田港と若山川の河口は一週間経ってもまだこんな様子です。
何もなければ本当に綺麗な海なので本当に悲しい。悔しい。
公費解体等で少し更地は増えたものの、お正月から変わらない風景に加えて
河川氾濫の影響があちこちに。晴れたら晴れたで道路の土埃が酷いです。
前回の訪問で大変お世話になった自衛隊のお風呂は自衛隊の撤退をもって終了していました。
○輪島市河井町にて
豪雨の発災前、石川県内での緊急支援的なサービスの終了を9月30日に設定しているものがいくつもありました。その先の不安を煽るような知らせに、これで良いのだろうかという風景を想像して9月末に現地入りする予定でした。
輪島市河井町には早朝に到着しました。何度も映像で見た地震で倒れたビルはそのままの姿でした。横たわったビルの前をマスクをした小学生が登校していきます。
川沿いの道は土埃が酷かったです。
市役所前の更地に次々に並ぶ通勤車両。まだ中心市街地の影も形もなかった2015年頃の大槌町役場職員駐車場を思い出してしまいました。
○前を向く力はそのひとの心に働きかけるきっかけひとつで湧き出てくる
そのビルを通り過ぎて海沿いのエリアへ向いました。
すると見覚えのある知り合いのキッチンカーが!!
大槌町でお世話になった懐かしいce-cafe(シーカフェ)号でした。
知ってて行った訳ではなかったので、言葉に言い表せない嬉しさと元気をもらいました。
同じ岩手ナンバーを見るだけで力が湧いてくるようでした。
Ce-cafe号は1月の発災以来、金沢を拠点に支援の薄い地域での炊き出しや輪島で被災した飲食事業者のつなぎ営業等で活躍。私がこの日見かけた時は、ある一定の役割を終えたとして近日中に帰ることになっていたタイミングでした。
キリコ会館沿いにはタイプが異なる仮設団地があり、特に海に面した仮設住宅を見て、住めば都と言えているだろうかと心情を推察していたのですが、出勤前にゴミ出しをする男性から「おはようございます」と声をかけられ、大槌で仮設暮らしをしていた頃を思い出しました。
全国の病院の小児病棟で慰問活動する日本ホスピタル・クラウン協会は、4月と8月にすぐ近くの重蔵神社とキリコ会館駐車場でクラウンのパフォーマンスをさせていただきました。私は両日とも参加できなかったので次回に備えイメージトレーニングをしました。
○輪島市町野町にて
豪雨災害で最も被害が大きく支援の手が足りない地区のひとつが町野。
災害ボランティアセンターを窓口にした大型バスで町野小学校、東陽中学校に。
休校になっていた学校は10月1日から近くの能登町立柳田小学校で授業を再開することになりました。子どもたちは学校前からバスに乗り柳田小学校に通学です。数名ほど地区外に避難しているほかはみんな一緒に登下校です。
豪雨災害から一週間が経過したものの終わりが見えない風景がありました。
ニーズをつぶしていこうにも窓口となる担当者が足りない現場もあり、愛知からの派遣職員さんと学校に残っている教職員さんが、社協さんが窓口になれない先の一部を誰かに確認をとりながらやる現場でした。
町野に着く直前から雨足が強まり、午後も雨予報で道中の崖崩れの恐れから中止の判断がされても不思議ではない中で、いったん体育館で待機の時間が続きました。ボランティアの皆さんは遠くから来ていて、やれることをやろうよと苛立つひとも。
「イライラしないのも復興支援のひとつ」
言葉には出さずにただただ待ちました。
しばらくして中止に。教職員さんからすれば柳田小学校から子どもたちが無事に帰ってこられるだろうかという心配がある訳ですから無理はできません。担当者となった派遣職員の男性は「対応が遅くてすみません」「遠くから来ていただいたのにすみません」と雨の中、バスを見送りながらずっと頭を下げていました。
「あなたたちが悪いんじゃないから」「またくるからね」
帰りのバスは労いの拍手でいっぱいでした。
悪路や迂回で金沢駅まで片道3時間ほど。更なる崖崩れの恐れがある道を帰りながら撮影した風景がこれです。
避難などで家主がいない中で、豪雨被害を受けたこの地区の更なる孤立を防ぐため、一刻も早い支援の動きをとる中で、つい先程まで大切だったものが瓦礫としてぞんざいに扱われてしまう可能性がここにもありました。
支援をする側として、目の前にあるものがゴミではないことを、大切な思い出や宝物だったことを十分に理解して活動しないととあらためて感じました。
○印象に残った風景
珠洲市野々江町にて、稲の倒伏と屋根瓦の損壊を一枚にとらえた写真。あまりにも大きな被害現場を各地で見てしまったから、ここも地震と豪雨の被害を受けた風景にも関わらず車窓からだと流れてしまう風景。コンバインが使えないので手刈りのボランティアで対応。効率よりも非効率が大切な印象的な風景です。
○観光が大事
ボランティアだけでなく実は能登観光が大事です。
震災と豪雨でどこも行けないのではなく大丈夫なところは大丈夫なのです。
能登町のイカの駅に寄りました。
珠洲市のいろは書店で地元誌を買いました。
金沢市ではDSA的に気になったものをお土産に。
自分用に蒔絵漆芸の名刺入れを買いました。
ボランティアと観光と美味しいものと。
紅葉の足音も聞こえはじめました。
また能登に会いに行かなきゃです。
○できることに心を込めて
能登から帰ってきてすぐの週末は、国立オリンピック記念青少年総合センターでの秋のキッズフェスタ2024に理事を務める笑顔プラス子供支援協会として出展。お声がけいただき初めての出展でした。
協会の取り組み紹介や展示のほかに、「能登半島豪雨被害支援 土嚢袋に応援メッセージを描こう」というお絵かきのワークショップをさせていただきました。たくさんの子どもたちがお絵かきに参加してくれました。どの絵もエナジー溢れるものばかりで温かい気持ちになるものばかりでした。
被災された方々の心に灯りをともし、ボランティア活動に更なる丁寧さを促し、それぞれが穏やかな気持ちになるような素敵な土嚢袋たちが誕生しました。
必要としている資材とともに、10月末には奥能登の支援団体にお届けに伺う予定です。
お絵かきは継続して行いたいと思います。現地での活動は難しくても、絵やメッセージで力になりたいと仰っていただけるのでしたら、是非お願いしたく存じます。詳細が決まり次第ご案内いたします。
○終わりに
豪雨被害は地震被害を上回るほどの状況です。二重に被害に遭ってしまった方々にとってまったく先が見通せない状況です。あれだけ暑かった季節が終わり、再び寒い冬を迎える前に、心に灯をともせる兆しが見えれば。引き続きできることに心を込めて参ります。
そばにいる家族を大切に。離れて暮らしている家族を大切に。
一般社団法人デイリーストックアクション 共同代表 梅沢義明
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